赤穂には忠臣蔵にまつわる名医達がおります。赤穂藩筆頭藩医近松伊看(義士 近松勘六 奥田貞右衛門の祖父)がおり、その後を継いだ口分田玄端(くもでげんすい)さらに浅野長矩の痞(つかえ-胸がつかえ息が苦しくなる)の病のために京都の名医寺井玄渓を大石内蔵助が招聘し、その後、内蔵助とは討ち入りの詳細をうち明けられるまでになります。彼の要請から遺族や遺児の放免に奔走します。一方、赤穂藩江戸詰藩医内海道憶は曲直瀬道三(5、6代目か)の門下生であり、これまた良く義士を助けましたが、討ち入りには加わらず、事後処理に活躍しました。
外科にも詳しく難産にも長じたとされています。(木下勤氏の赤穂義士伝外史による)。
明治12年8月には虎列刺(コレラ)の流行があり、その際に「虎列刺病流行中医師の他行を禁止」との命令が赤穂郡長兼検疫委員森某の名前で出されていますから、少なくとも医師は数名いた事になります。(赤穂市史による)
明治30年には相生市、赤穂市、赤穂郡を包括した医師会が存在したそうですけれど、詳しい資料は現在残っておりません。
昭和22年新制兵庫県医師会が発足するのに伴い新制相生赤穂郡医師会が設立され、昭和27年には赤穂市医師会として独立。以後、市民の健康維持の為に活躍いたしております。(赤穂市医師会40周年記念誌『蓼』による)
赤穂市は人口約45,000人、他の地域同様に少子高齢化が進んでいます。
約70名の会員は日々の診療の他にも、各種検診、予防接種、学校医、産業医、休日当番医、介護認定、かかりつけ医等、市民の皆様の健康の増進と維持に努めております。
コロナウイルス感染症により、より一層医師会、行政、関係施設等との連携が重要になり力を入れて参ります。
これからも医師会へのご協力とご理解よろしくお願いいたします。
一般社団法人 赤穂市医師会 会長 渡邉節雄
A会員 = 33 名
B会員 = 40 名
病院 = 4カ所
有床診療所 = 1カ所
無床診療所 = 34カ所
会長 | 渡邉 節雄 |
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副会長 | 花房 龍生 |
田淵 誠一 | |
理事 | 林 晃史 |
長尾 俊彦 | |
山中 晶雄 | |
金 秀浩 | |
中川 直之 | |
西谷 茂樹 | |
監事 | 中村 隆彦 |
廣畑 誠 | |
議長 | 久保川 潔 |
副議長 | 深井 光浩 |
〒678-0232
赤穂市中広267番地
赤穂市総合福祉会館内
TEL:0791-42-1435
FAX:0791-42-1436